スイミングクラブ

1964年東京五輪を機に、「水泳ニッポン」の復活だけでなく、国民全体のスポーツ需要の高まりに応えるように当時の水泳人らが中心となって民間経営による スイミン グクラブを全国に発足させた。私財を投じた形もあったが、多くは経営リスクを考慮した「株式会社」型の経営であった。確実な需要見込みの手ごたえがあったこと や、当時の金融機関も高度経済成長期という背景から積極融資という後押しもあって、予想以上の人気を博したビジネスとなった。


2016.1.11NHK「1964から2020へ 惨敗から立ち上がれ~水泳王国ニッポンへの道~ 第一部「日本中にスイミングクラブを」」

スイミングクラブ経営の成功には、1968年学習指導要領によって小学校体育に水泳が正科となり、それに伴って全国的な学校プール建設が進んだことから、子 どもたちの「泳ごう・泳ぎたい」需要の高まりがセットとして展開されたことが大きかった。

したがって、急速に拡大した子ども需要を前提にし、泳げるようになった子どもを「卒業」させることで、待機している子どもたちを取り込むという、今で言え ば、ファーストフード業界的な経営が進んだ。その際、「クラブ」という性質上、メンバーシップ制度を「入会」システムと位置づけ、その際の「入会金」はそのま ま預けた状態で「卒業」することから、顧客の回転速度を上げればそれに応じて利潤が増加するというビジネスモデルが確立していった。

しかし、最大の課題は水泳指導するスタッフの確保と人材養成であった。最盛期には全国で新規スタッフを5000人規模で揃える必要があったが、その数は、高 校水泳選手の学年登録数を上回っていることから、水泳選手中心の雇用だけでは到底追いつけるものではなかった。水泳中の安全管理はサービス業としての最大の使 命でもあることから、指導者養成を民間企業が担う必要性に迫られた。そこで企業経営者たちが結束して、「スイミングクラブ協会」を設立し、自前で指導者養成を 本格化させたのであった。その時の「コーチ教本」は、水泳の歴史、泳ぎ方、指導法だけでなく、民間クラブ経営や競技会運営にまで網羅された画期的なテキストと 養成事業であった。



2016.1.11NHK「1964から2020へ 惨敗から立ち上がれ~水泳王国ニッポンへの道~ 第一部「日本中にスイミングクラブを」」

こうした民間スイミングクラブの成功は、現在の「水泳ニッポン」の姿そのものとなった。競泳選手のすべてがこうしたクラブ所属選手となり、学校部活動に依存 することなく、スポーツに打ち込める若者需要に応えている。施設を民間クラブが所有し、そこでサービスを展開するという、今から考えればスポーツビジネスの基 本をスタート段階から事業化したことは、他のスポーツにはない画期的な取り組みと言えよう。

と同時に、学校水泳と民間クラブによる水泳への取り組みの結果、学校水泳・学校プール建設に踏み込む原因の水難事故者をその後、大幅に低下させることに成功 した。そうした社会の安定に寄与したスイミングクラブの功績は高く評価されるべきであろう。

学校水泳とスイミングクラブとでの水泳普及の姿を結実させたのが、北島選手であろう。

北島選手の小学校卒業文集が、2008年北京五輪での金メダル獲得直後に産経新聞に掲載された。

<2008.8.12産経新聞>